埼玉大教育 東洋経済 日本女子合格!
高校時代は部活に明け暮れた。 部活はチアダンス。全国優勝を遂げるほどの成績をあげ、完全に引退したのは 初夏。そこから受験勉強を本格的に始める。
得意の英語は順調に伸びたが、苦手の数学が伸び悩む。国公立文系志望の菜々子にとっては数学が難敵だった。中学のときから苦手意識があった数学に時間が奪われ、結果、選択科目に時間をとれず、懸命に追い上げるも、合格通知はこなかった。しばらく何をする気にもならなかった。 東進の担任から言われたことばがあった。『これ以上ないくらいに努力して勝ち取った大学を母校にしよう。がんばろう。』胸に刺さった。
全敗から京大/早稲田・慶應/東京理科大四冠!
青柳の浪人生活は、3月の半ばから始まった。本当は工学部志望 だったが、理科が間に合わず、経済学部への出願の切り替え、 滑り止め含め受験全敗、というのが、現役時の青柳の大学入試 結果だった。
法政法 学習院法 駒澤法怒涛の合格!
高3夏に野球部引退、受験勉強を必死に追い上げるが結果は日東駒専不合格。 ランク下の大学にはなんとか合格したが磯谷の気持ちは晴れなかった。 『俺はまだできる』
全敗から京大/早慶/理科大全勝!
青柳の浪人生活は、3月の半ばから始まった。本当は工学部志望
だったが、理科が間に合わず、経済学部への出願の切り替え、
滑り止め含め受験全敗、というのが、2015年度の青柳の大学
入試だった。
早稲田(社会科学) 明治(政治経済)
中央(経済) 武蔵(経済) 獨協(経済)など合格
センター試験前日。成川は早稲田大学の過去問に取り組んでいた。どの受験生もセンター試験の過去問に取り組んでいるはずだが彼はセンター試験を考えずに第一志望の早稲田大学の問題と戦っていた。
東進には半年ほど通っていたがスタートが遅かったため、文教大学、玉川大学は不合格。 「部活引退後は勉強がんばれましたけど、やっぱりスタートが遅かったし、そもそも量が足りないなって実はずっと思っていたんです。東進の授業は好きだし、指導もしっかり行っていただいたのでもう一度、東進でやりたいです!」
「受かりましたよ。」
いつもクールであまり感情を表に出さない増井が、少しだけ興奮していた。電気通信大学合格!それが興奮の理由だった。
2月下旬。森下の受験は終わった。全て不合格、当たり前の結果であった。野球部で練習、試合の日々に明け暮れ、勉強ができる時間はほとんどなかっ た。引退してから勉強を開始したが、単語は覚えられず、日本史は江戸時代で勉強がとまってしまった。
「先生、立教受かりました!」受話器から聞こえるその声は、まるで短距離走を全力疾走した後であるかのように大きく弾んでいた。
「運命だったのかもしれないですね。」そう言うと宇治川は笑った。まだ冬の寒さを残す3 月、宇治川は東進の熊谷校にいた。合格の報告をするためだ。
「スタートが遅かったです。自分が校舎で勉強していると、高校1年生からきている生徒さんをみて自分遅かったなー、と心の中でずっと思っていまし た。」「もう一回先生面倒見てください。よろしくお願いします!」大熊の一度目の受験が終わった時の言葉。
早 いスタートが合否を決める。常に言われていたその言葉を胸に、内田は2 月25 日、目標を来年の受験に定め新たにスタートを切った。本科コース生第一号。志望は薬学部、明治薬科大。
高校時代、受験生としての自覚、大学で何を学びその為に何をするべきか…、という目的意識が欠けていた田谷。なんとなく国立に行ければいいと考え、地元の国立大学も、滑り止めにしていたはずの私立大学もオール不合格。
月 のセンター模試までに終えた。現役時のセンターは83点であったが、4 月の模試で132点。スタートの1 ケ月で50点近く上げた。担任と大木で立てた計画通りの学習量と成績up。
高校3年3月。岡の一度目の受験は終わった。結果は中央大学合格。現役での合格実績としては悪くない。だが岡本人は釈然としない気持ちを抱えていた。
「私 はみんなの様に優秀ではないけれど、この数ヶ月、目標に向かって精一杯頑張ります。よろしくお願いします。」3 月の末、本科コース生はじめてのホームルーム。船田の第一志望は中央大学の人文社会学部だ。
熊谷市筑波2-56-3